思い出の一枚・鳥見山の棚田
15年前ごろから大和の風景に魅了され・・いろいろな景色を撮ってきました。大和には日本の原風景が残されており・・派手な景色はありませんが・・どこか懐かしい・・心が癒されるような風景が多く残されています。
ところが・・数年前の「コロナ」を挟んで・・大和の景色も少しずつ変わって来ました。古くから残されて来た「棚田」が消え・・「はさかけ」などの風景が無くなって来ました。
私の記憶の中で「消えた棚田」と言えば・・鳥見山の山中にあった棚田が思い出されます。
以前から噂で聞いていたが・・どこか場所が分からず・・永い間「幻の棚田」でした。ある日、偶然・・鳥見山の山道で駐車した所の谷側に・・その「幻の棚田」を発見しました。山道からは竹藪があって直接は見えません。発見した時は・・大きな美しい棚田に驚きました。道から谷底までの落差は40-50mくらいはあり・・谷の広さは200m×200mはあります。「はさかけ」が何本も立っていました。おそらく・・100年以上前から何代も引き継がれて拡がった棚田ではないか・・そんな気がしました。
丁度、竹竿から稲を外して脱穀の作業中でした。許可を貰って撮影を始めました。これから先の撮影(田植え・青田・稲刈りなど・・)を思い浮かべながら・・嬉しさと楽しさの絶頂でした。
しかし、二人の脱穀作業・・何か違和感を感じました・・
「夫婦ではないんだ」と・・今まで、たくさん農作業を見て来ましたが、そのすべてに「夫婦」がいました。「夫婦が助け合いながらやっている農作業」・・棚田には、そんなイメージがありました。
撮影のお礼に・・お昼に弁当を食べておられた二人に・・コンビニで買った冷えたお茶をお渡ししました。その時、少しお話が聞けました。棚田のご主人が「この棚田は今年で終わりだ・・」と話されました。隣の小父さんも「奥さんが調子悪いねん」と・・表情は寂しそうでした。
そこで・・だいたいの事情が解りました。おそらく・・「妻はもう農業が出来ない・・子供たちは帰って跡を継ぐことも無い・・もう棚田でのコメ作りは俺の代で終わった」・・そんな心境だと思いました。
先祖から何代も引き継がれてきた「鳥見山の棚田」が・・自分の代で止める悔しさや無念さは・・サラリーマンだった私には想像できません。気軽に撮影をしているのが申し訳なくて・・お礼を言って・・早々に棚田から離れました。
後で・・脱穀作業の写真を見て思うのですが・・棚田のご主人(白ぽい作業服)の後ろ姿が・・肩が落ちて寂しそうに見えます。奥さんのことや・・棚田のことや・・ご先祖のことや・・いろいろな苦悩が背中に現れているように見えました。
それから度々・・この棚田に寄って見ました。人が入らない棚田は荒れ・・1年も経つと・・もとの荒野に戻って行きました。棚田は作る時には何百年もかかりますが・・止めると足った1年で・・「自然って、凄くて、怖いなー・・」って思いました。
一度きりの「鳥見山の棚田」の撮影・・私には忘れられない「思い出の1枚」です。
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